<米倉さん死去>経済政策、政府に直言 国際ビジネスで手腕《公式》
大塚和成です!!
毎日新聞
<米倉さん死去>経済政策、政府に直言 国際ビジネスで手腕
米倉弘昌氏=小出洋平撮影
16日に死去した米倉弘昌さんは、旧民主党政権時の2010年5月から約4年間、経団連会長を務めた。固い信念に基づく率直な物言いで知られたが、その姿勢は時の政権と対立を引き起こしたこともあった。だが、飾らない人柄を慕う経済人は多く、悼む声が相次いだ。
米倉さんは、11年3月の東日本大震災の際、経団連に自身を本部長とする対策本部を設けて陣頭指揮にあたった。会員企業にも呼び掛け、被災地に燃料・救援物資を迅速に届けるなど尽力した。
一方、東京電力福島第1原発事故について「間違った陣頭指揮は混乱を起こすもとだ」と述べ、当時の菅直人首相の対応を批判。後手に回った風評被害対策や、産業界への性急な節電要請に不快感を示した。また、菅氏が表明した「脱原発」方針に対しても、「原発に一定程度依存しないと(電力不足で)国内産業がどんどん海外に逃げ、雇用が守られず、経済成長が落ちる」と反論した。
12年12月の自民党の政権復帰直前には、同党総裁の安倍氏が掲げた金融緩和政策を「無鉄砲」と批判し、安倍氏が「選挙妨害だ」と激怒。ぎくしゃくした関係は、自民党の政権復帰後も完全には修復できなかった。経団連会長が務めることが多かった経済財政諮問会議のメンバーからも外れ、政治との関係は最後まで課題続きだった。
だが、社業でサウジアラビアで世界最大級の石油コンビナートを建設するなど、国際的なビジネスの手腕は評価が高く、「人柄のよさもあって各国政財界に厚い人脈を持っていた」(経団連幹部)という。
米倉さんは、日本経済の成長のためには自由貿易体制の維持・拡大が必要との信念から、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や日欧経済連携協定(EPA)の交渉入りを粘り強く各方面に訴えた。現経団連会長の中西宏明氏は「自由経済を守り抜くという固い信念をお持ちの生粋のリベラルなリーダーだった」と評価した。
14年6月に東レ出身の榊原定征氏に会長の座を譲り退任。退任後、米倉さんは「09年に政権交代があり、それまで経団連は民主党と深いつながりがなかったので、就任早々から考え方の整理や関係構築など、いろいろ対応しなければいけないことが多かった」と振り返ったが、引退後は表舞台に登場することは少なかった。
日本商工会議所の三村明夫会頭は「飾らない気さくな人柄で、高い見識に基づいた率直な発言が印象に残っている」とのコメントを発表。政策を巡って政府に直言してきた米倉さんをしのんだ。【川口雅浩、横山三加子】
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